書写山圓教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)

兵庫県姫路市、標高371mの書写山(しょしゃざん)山頂に位置する圓教寺(えんぎょうじ)は天台宗の別格本山で、966年に性空上人(しょうくうしょうにん)が開創した古刹、西の比叡山と呼ばれるほど格式の高いお寺です。

山号は書寫山(書写山の別記)で、西国三十三所第二十七番札所。宗教法人としての名称は常用漢字体の円教寺です。西国三十三所のうち最大規模の寺院であり、中世には滋賀県の比叡山、鳥取県の大山とともに天台宗の三大道場と称された巨刹。

閑静で広大な山内には国、県、市の指定文化財となっている仏像等多くの文化財が並び、迫力満点の摩尼殿や大講堂、食堂(じきどう)など見どころ満載の圧倒的な存在感を持つ。多くの映画やドラマのロケ地ともなっている。

有名なハリウッド映画『ラストサムライ』の監督の心を奪い、ラストサムライの舞台となったお堂でも有名です。ちなみにこの映画非常におすすめです。ぜひ参拝前に見てください。

”円教”という寺号には輪円具足を数えるという意味があります。円(丸)形にはかけたところがなく、徳においてもっとも成就した状態を象徴していることから、自己を完成する道を教える寺の意味となるそうです。牛若丸で有名な武蔵坊弁慶はこの書写山で修行したと言われており、机などゆかりの品もありますが、史実として公的な書物はないそうです。

圓教寺の見どころの1つは途中までロープウェイで登ることです。天気が良ければ明石海峡大橋、淡路島、小豆島、四国など絶景が楽しめます。

徒歩で登山することも可能で実際に参道は6種類あるそうですが約1時間ほどかかるとのこと。ロープウェイだと所要時間4分、往復で大人1000円、子供は500円です。ゴンドラはガラス面が足元まで広がっており、木々はもちろん、野生のイノシシやシカが見えることもあるそうです。

性空上人は966年に紫雲に導かれて書写山に入山されたと言われている。この紫色の雲がなびいていたとされる紫雲堂跡展望広場のすぐ上にロープウェイが到着する山上駅がある。下記写真が山上駅です。

ロープウェイの山麓駅(書写駅)と山上駅に設置された”はね上げ式桟橋”は日本で三基目に導入された珍しい桟橋であり、駅に到着すると客車の左右両脇から挟むように固定されます。ちなみに、ロープウェイの乗り入れは階段式ですが、ここは平面なのでお子さんやお年寄りの方にも優しい設計です。

ロープウェイの発車時刻は15分毎、毎時00分、15分、30分、45分です。始発は8:30、時期にもよりますが終わりは17時〜19時ごろです。詳しくは公式HPにて確認ください。なお、別に徒歩での登山ルートもあり、約1kmくらいとのことで季節によって徒歩で上ってみるのも楽しいと思います。

目次

歴史

圓教寺は966年、性空上人の創建と伝えられています。性空上人は『性空上人伝記遺続』によれば910年の生まれで、貴族の橘氏の出身であり36歳にて出家、その後20年間ほど霧島山など九州で修行を積んだあと、霊地を求める旅の中で57歳のときに書写山に入山したと言われています。

元は素盞鳴尊(すさのおのみこと)が山頂に降り立ったという言い伝えがあり、性空上人入山以前よりその地に祠があったという伝承から、山号である”書写(しょしゃ)”は”素盞(すさ)”に由来するとも言われています。これは姫路市との合併前にこの地が飾磨郡曽左村(そさそん)であったことも信頼性高そうです。また、仏説において書写山は釈迦如来による霊鷲山の一握りの土で作られたと言われており、当山がまさにその霊鷲山を”書き写した”ように似ているから書写山と呼ばれるようになったという説もあります。別の説では、山上の僧が一心に経典を書写する姿に山麓の人々が崇敬を持って称したともされるなど、書写山の由来には諸説あります。

当寺内に性空上人の渋めのポスターがありました。

なんとなく性空上人と出ていますが、上人とは仏教における高僧への敬称であり、智徳を備えた人物に対して敬意を払った表現のことです。

性空は俗事を厭い、栄華や名声に関心がなかったが、(それゆえに?)皇族や貴族のからの崇拝が篤かったそうです。中でも花山天皇は熱心な崇敬者であり986年と1002年に2度行幸しています。986年に天皇を退位されたあと山科元慶寺にて出家されます。これは、藤原家の陰謀とも言われる決して晴れやかなものではなかったようです。翌年には姉を失い、この短期間(3年足らず)で在位、陰謀による退位、出家、家族の喪失等を経験されています。実は花山天皇は退位時の年齢は19歳、在位は2年にも満たない若すぎる天皇でした。これらの孤独感は20歳に満たない青年の心に大きな傷を与えたことが想像できます。

当寺HPによると、この頃性空上人の名は書写上人として都にまで知られており、それまでも何度も朝廷に召されたが、出向くことはなかったといいます。これらのこの上ない機会を「浮雲の栄耀(えいよう)」として顧みなかったことで上人の名は更に高くなっていったそうです。名家である橘家の嫡男でありながら、霧島山など地方で修行を積み、京都文化圏から見ると最果てとも言える播磨の山に身を置いて、修行する姿は更に都の注目を浴びていきます。39歳のときに法華経をすべて暗誦し、69歳で六根清浄(後述)を得られ、75歳で金剛薩埵が夢に現れて直々に金胎の密印を授けられたと伝えられています。花山法皇は欲望渦巻く都に生まれながらもあっさりと栄華を捨てて見向きもしない上人の姿に光明を得ようとしたのかもしれません。

花山上皇行幸の年の11月に圓教寺の勅号と100石の米を寄進され、性空はこれを元に現在の大講堂を建立したといいます。書写山の松を都にまで持ち帰るほど、上人・圓教寺への思いが強かったとされています。

中世では、1578年に織田信長より中国地方の征伐を命じられた豊臣秀吉が播磨制圧のために乱入し、摩尼殿の本尊である如意輪観音像などを近江に持ち帰っています(如意輪観音像は1580年には返還)。秀吉は黒田官兵衛の勧めで本陣をこの書写山においたのだが、静寂のあった信仰の地が一転して兵士であふれかえり陣太鼓が鳴り響く場所になったと言われています。実際に当時の兵士が書いた柱の落書きが当寺にて展示されています。

参道・境内・伽藍

圓教寺の境内は国の史跡に指定されており、なんと書写山の山頂一帯が境内となっています。

自然環境が良好に保持されており、山岳寺院の様子を楽しむことができます。古来より書写山への登山道としては東坂、西坂、六角坂、刀出坂、鯰尾坂、置塩坂の6つがあったが、1958年に東坂に沿ってロープウェイが開通してからは、前述のとおりロープウェイが主流となっています。ちゃんおれも景色を楽しみながらロープウェイに乗りました。

ロープウェイ山上駅から100mほどにある仁王門を経て摩尼殿へ登る参道が主なルートです。仁王門が圓教寺の入口となり、ここから大人でも25分ほどかかる奥深い参道があります。

境内の各所で静かに佇む建造物や仏像のほとんどが、国・県・市の指定重要文化財となっており、様々な時代の職人たちがその時時の最新技術と知恵を駆使して残した作品たちを眺めたり、景色や自然を感じたりしながら進めば、この距離は全く苦になりませんでした。むしろ大自然の中をこうして歩いていく非日常のなかで心が洗われていくような感覚を持ちました。

境内は、明確な定義があるわけではないそうですが、仁王門などのある東谷、摩尼殿付近の中谷、大講堂・食堂(じきどう)・常行堂(じょうぎょうどう)および開山堂(かいざんどう)のある奥の院のある西谷に分けられます。

西国三十三所観音霊場の札所でもある摩尼殿が中心ですが、圓教寺の本堂にあたるのは大講堂です。また性空の像を祀る開山堂のある奥の院なども信仰において重要です。下記、この構図に分けて記載していきますが、見どころが多すぎるため、重要な部分に絞ってご紹介します。

東谷

ロープウェイ山上駅から参道を進み、仁王門を経て摩尼殿までは徒歩25分ほど。山上駅を降りると近くに慈悲(こころ)の鐘といわれる鐘があり、参拝者は自由に撞くことができます。

慈悲の鐘の近くには、天台宗の開祖である最澄の言葉である、『一隅を照らす』の碑があります。なんとなく良い意味っぽいですが、本当の意味を知っている方は少ない?のではないかと思います。管理人も知らず、これを見て調べました。

前後の文脈などありますが、『大切なのは金銀財宝など(表面的なもの)ではなく、一隅、つまり今自分がいる場所や置かれた立場で精一杯努力して光り輝くことであり、そういう人がかけがえのない国の宝である』という意味です。

現状に満足しないときにそこに不満を言ってもどうしようもなく、自分ができることを探して努力していく必要がある、というなかなか示唆に富む言葉だと思います。

さて、ここから仁王門に至る参道は西国巡礼の道とされ、左右に西国三十三所の各札所本尊を表した仏像が設置されています。

途中、姫路市内を眺めることができる展望所があります。

仁王門は参道の終点であり、ここから先は聖域とされています。明治初期までは女人禁制であったため、女性は東坂参道入り口にある女人堂(現・如意輪寺)に札を納めて帰ったそうです。

仁王門をくぐって先に進むと苔むした山肌と木々による住んだ空気が心にやすらぎを与えてくれるような道が続きます。

この日はとても天気もよく、おれおちゃんは気持ちよくなってテンション上がっていました。

しばらく進むと国指定重要文化財である壽量院(じゅりょういん)があります。『圓教寺行事記』にある献立に基づいた精進料理をいただくことができるそうです(5名様〜要予約とのこと注意です)。

先にある妙光院や圓教寺会館では宿泊ができます。圓教寺会館は姫路市の小学生が林間学校として宿坊体験をする場所となっているようです。十妙院を過ぎると参道は権現坂とよばれる下りの階段になり、下りきると中谷に位置する摩尼殿が見えてくるまでが東谷です。

中谷

権現坂を降りると1617年に姫路城主となった本多忠政が寄進したとされる湯屋橋という石橋があります。

湯屋橋

その先に観音堂である摩尼殿が見えてきます。

摩尼堂は昔は如意輪堂と呼ばれていました。入母屋造、本瓦葺、懸造(舞台造とも呼ばれる)の仏堂、かんたんに言えば、切り立った崖に沿うように建てられたこの様式は京都の清水寺と同じ造りです。よく見ると清水寺っぽい作りです。

性空上人入山4年目の970年に、天人が書写山内の桜を賞嘆するのを見た崖の桜の木を拝む天人を見て、性空が弟子に命じて桜の木に如意輪観音像を彫り、それをお祀りするお堂をつくったのが、この摩尼堂(昔は如意輪堂)のはじまりとされています。

旧堂が1921年12月に焼失したあと、1933年に再建、1999年には国の登録有形文化財に登録され、2015年には市指定文化財となっています。

階段を上がると摩尼殿の本堂へと入る入口があります。

本堂は左から広目天、増長天、如意輪観音(本尊)、多聞天、持国天を安置しており、いずれも秘仏です。1/18の修正会(しゅしょうえ)のときのみ開扉されます。本尊は桜の木の一木造です。

訪問したときは紅葉の時期で、書写山のもみじやイチョウがとてもきれいでした。摩尼殿には下記のような踊り場?的な部分もあり、この先には美しい景色、紅葉が広がっています。

湯屋橋の右側にははづき茶屋があり、休憩所となっています。このはづき(端月)の名は和泉式部が性空に詠んだ「冥(くら)きより冥き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月」から取られています。

摩尼堂手前には直径約1mの2つの石である護法石がある。不動明王の化身である乙天(おつてん)と毘沙門天の化身である若天(わかてん)の2童子が降り立ったと伝えられる。弁慶がお手玉にしたとも言われ、別名”弁慶のお手玉石”とも呼ばれています。

ちなみに、この日はたまたま?摩尼堂付近の広場で猿回しをしていました。真っ赤なもみじに囲まれた場所でした。

一番盛り上がる大技のときです!さるとてもかわいかったです。

西谷

摩尼殿正面の階段下から西へ向かう参道、または摩尼殿の裏手から西へ向かう山道のいずれかを通ると、3分程度で大講堂のある広場に出る。管理人は山道で行き、帰りを参道から帰りました。

山道の方は樹齢650年以上といわれる杉の木や大きな仏像があり、木の根が出た道でとても雰囲気のあるところでした。

階段下の参道の方は道が広く歩きやすいので、疲れていたり足元が心配な方はこちらがおすすめです。

こちらからは摩尼堂を見上げる景色も楽しめます。

上記いずれかの道を抜けるとカタカナの”コ”の字のように並ぶ3つのお堂が見えてきます。左から舞殿のある常行堂(じょうこうどう)、長大な二階造の食堂(じきどう)、二層屋根の大講堂であり、誰もが息を呑むような迫力があります。

いずれも国指定の重要文化財で食堂では写経、常行堂では座禅体験ができます。詳細はこちら公式HPを参照ください。砂の広場を囲んでコの字に並んでいる形は中世の寺院景観を現在に伝えており、3棟を総称して三之堂(みつのどう)と読んでいます。これは1331年の落雷、1436年の火災で消失し、現存する各堂は室町時代、15世紀半ばの再建です。この迫力から、下記のような有名な映画やドラマのロケ地としても多く使われています。

・映画『ラストサムライ (2003) 』主演:トム・クルーズ、渡辺謙

・NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI (2003) 』主演:市川海老蔵(当代)

・NHK大河ドラマ『軍師官兵衛 (2014) 』主演:岡田准一

大講堂:重要文化財で、入母屋造、本瓦葺となっています。下層は1440年に、上層は1462年に建造。釈迦如来や両脇侍像などが安置されており、これらは摩尼殿に安置される四天王像とともに圓教寺創建の10世紀の作であり、釈迦三尊像は987年造立といわれています。

大講堂

常行堂:重要文化財。正式には常行三昧堂と呼ばれ、入母屋造の常行堂の北側に正面(東西)10間、側面2間、切妻造の吹き放しの建物が接続する特異な建築様式をしています。常行堂の本尊は阿弥陀如来坐像(1005年造立)であり、建立は1331-1334年、1436年の焼失のあと1453年に再建されており、1963年にも解体修理されています。上述の通りこちらでは座禅体験ができるとのことです。

常行堂

食堂:重要文化財。”じきどう”と読むことに注意してください。別名は長堂、古くは三宝院とよばれていました。2階の屋根は隣の常行堂の屋根に接している形で、正面15間、側面4間の入母屋造、本瓦葺。長大な仏堂となっています。日本の近世以前の仏堂建築でこのような長大で、かつ2階建のものは他に例がないと言われています。1174年に参詣した後白河法皇の勅願により建立され、1338年に再建、現在の建物は様式などにより室町時代中期のものと考えられています。2階はガラスケースの中に宝物を展示。食堂の脇には弁慶の鏡井戸があり、弁慶が顔を映したと言われます。

食堂:正面奥

食堂には下記のような廊下があり、ここで写真を撮ることは必須です。とても美しく、昔にタイムスリップしたような感覚になれます。

もちろんおれおちゃんも撮影済です。

前述のとおり、ここでは写経体験ができます。この日も子供から大人までたくさんの方々が写経を行っていました。

食堂は外はもちろん中もかっこよくてきれいでした。

開山堂:こちらも重要文化財で、開山の祖である性空を祀っています。寺記によれば性空が没した1007年、性空の高弟である延照が創建したとされており、現在のお堂は1671年に再建されたものです。

開山堂

開山堂の本尊である木造性空坐像(重要文化財)は1286年に焼失した旧像の代わりに、1288年に慶快が作ったものです。旧像の中にあった瑠璃壺に納められた性空の遺骨は焼け残ったため、新像にあらためて納入されたといわれていました。2008年に奈良国立博物館によるX線撮影調査が行われ、なんと、本像の頭部には言い伝え通り遺骨が入った瑠璃壺が納められていることが判明します。ちなみに翌年2009年6月の解体修理において石櫃が発見され、ここにも分骨された性空の遺骨が発見されています。なお、開山堂軒下の三隅にある3体の力士像は左甚五郎作と言われています。

左甚五郎作:力士像

このような力士像が3体ありますが、もともとは四隅にそれぞれあったと言われています。北西側の1体は重さに耐えかねて逃げ出したという伝承もある。左甚五郎と言えば、実際に命を吹き込まれているほどの彫刻で有名であり、例えば日光の眠り猫の逸話にも出てくるため、説得力がある説に思います。

また、大講堂の裏か摩尼殿の裏を更に奥へ進むと六根清浄の修行を行い心眼を開いだという白山神社(白山権現)に行くことができます。標高368mの白山峯に位置する当社は性空が庵を結んだ場所とされている。ここは別名”十一面堂”と呼ばれ、十一面観音を祀っています。人間が俗世で欲にまみれた六根(目、耳、鼻、舌、身、意識)を浄化し、仏のようにきれいにし、正しく生きるために行なう修行のことであり、露出した木の根が続く道は俗世から離れて自然を満喫しつつ心をきれいにする道となっています。管理人は行けなかったため写真もありませんが、ぜひ次は行き、当記事をアップロードしたいと考えています。

行事

圓教寺ではたくさんの行事が行われますが、中でも特殊なのが修正会(しゅしょうえ)です。鬼追い会式とも呼ばれている行事で、毎年1月18日に白山権現、摩尼殿で行われます。市指定無形文化財に指定されています。赤鬼と青鬼と呼ばれている性空を守護した護法童子を指し、赤鬼は若天、青鬼は乙天です。前述の”護法石”についての記述では、不動明王の化身である乙天(おつてん)と毘沙門天の化身である若天(わかてん)の2童子が宿っているとされていました。19211年の摩尼殿の焼失でお面なども失われたため、現在の鬼面は高村光雲、六角紫水による作で1923年に奉納されたものです。

ロマンチックな夜景を楽しみたい人は、毎年大晦日から元旦にかけてロープウェイのオールナイト運行がされているそうで、そちらもおすすめです。除夜の鐘つきや”新春夢の書”とよばれるイベントもあるそうです。

御朱印・ご利益

圓教寺には御朱印が5種類もあり、これも楽しみの1つです。ちなみに、摩尼殿では2種、食堂で2種、開山堂で1種(日本語ver. チベット語ver.がある)をいただけます。ちなみにレアなチベット後ver.はチベット僧侶が時間によっては不在の可能性もあり、事前に問い合わせ必要のようです。

ちなみに御朱印帳も圓教寺オリジナル含めて5種類も販売されています。管理人は、何度も訪れようと思っているので、とりあえずオーソドックスなものを1ついただきました。

アクセス・周辺情報

神姫バスが姫路駅北口と書写山ロープウェイ間を約28分で運行しています。書写山ロープウェイが山麓駅と山上駅を約4分で連絡、15分毎にあります。ロープウェイは大人往復1,000円、小人往復500円です。上りは8:30〜、下りは時期によってことなるが17:00〜19:00の間です。なお、山上駅から圓教寺摩尼殿までは通常徒歩ですが、有料で送迎マイクロバスも出ています。

徒歩で登る場合、6つの参道があり、どれも山麓の起点には神姫バスの停留所が近いです。このうち、東坂参道は弁慶が長刀を研いだという伝承から砥石坂(どいしざか)とも呼ばれていいます。仁王門まで約1.1kmと意外に短いですが、岩場が多く、全体的に急峻であるとされています。もちろん時期によりますが秋などゆっくり訪問できれば歩いて参拝することも良いと想いました。

ちゃんおれメモ

御朱印のもらい方や参拝方法など、人によって様々な楽しみ方、感じ方ができるとても良いお寺だった。機会があれば何度も行きたい。由緒あるお寺だけど、オールナイトなどもやっていて、一般にも開かれた態度はすごく良いと思った。

僕は疲れたからリュックにはいって登ったんだ。王だから奴隷に運ばせて当然だ。ガオ

建物など文化財がたくさんあって見どころ満載のお寺だけど、焼失したものが多く、山火事と戦ってきたんだなと思った。

摩尼堂や食堂周辺に比べれば地味だけど開山堂は見どころ満載だ。

猿回しタイミング良く見えて結構すごかった。けど、僕は王だから練習しなくても命令すれば猿は言うことを聞くこと間違いなしだ。ガオ

全く関係ないけど、1991年、日本のアマチュア天文家らが火星と木星の間にある小惑星を発見し、2014年4月に圓教寺(Engyoj)と命名され、国際天文学連合に登録されているみたいだ

慈悲の鐘、すごく大きい音だけど、僕は強いから全然びっくりしなかった。

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