上野国一宮 一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)

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The Wonder of Kudari-Miya

Ichinomiya Nukisaki Shrine locates at Gunma Prefecture which was previously called “Kōzuke” province.

This shrine has a very unique structure of downward entrance path to the main building enshrining its god; hence this structure is called Kudarimiya.

After going through this main gate,

貫前神社正門

you will see the downward stairs and its sanctuary underneath it.

Nukisaki Shrine is counted as one of the three most major shrines with kudarimiya-structure.  Other two are Kusakabeyoshimi Shrine (Kumamoto Pref.) and Udo-jingū (Miyazaki Pref.). Actually the well-known Izumo-Taisha is also one of Kurarimiya although it is not one of the three.

Many people might wonder that it may be rude to worship gods in a lower location.  In Shinto, people enshrine god in higher place their household shrine at a higher place.

It is said as one of the hypothesis of this wonder that, although the true reasoning is not clarified, the gods enshrined in Shines with kudarimiya are those that people in the past wanted to seal off.

For instance, in Japanese myths, in Japanese myths of Kuniyuzuri, Okuninushi, the ruling god of Izumo area, passed the control over his area to other gods in exchange of luxurious palace, which is pictured below.

*Go to Oleo’s Memo for Kuniyuzuri for the detail of Kuniyuzuri

Probably they wanted to eliminate their previous enemy, but are scared of the curse. Hence, they created a sophisticated shrine and enshrined the god carefully but at the same time, they locate the shrine in a lower place. This is an interesting hypothesis showing the sensitive feeling of the past.

Incidentally, other shrines with Kudarimiya including Nukisaki Shrine had their histories of certain frictions with and being conquered by the government, proving their relative independence.  This history has a logical connection with the hypothesis with above.

It is quite interesting to think of what happened in the past during exploring shrines/temples and their history.

History and Outline of Nukisaki Shrine

群馬県富岡市に鎮座する貫前神社の起源は531年まで遡ります。

社格は国幣中社という歴史のある神社です。

祭神

貫前神社では、武神である経津主神(ふつぬしのかみ)と農耕と機織の神である姫大神(ひめおおかみ)の二柱が祭神となっています。姫大神は比売大神と記載される場合もあるようです。

経津主神:国譲りにおいて登場する武神。武力で葦原中国の平定を行い国家の基礎を造ったとされる日本神話において重要な役割を担う神様です。葦原中国平定に貢献した布都御魂剣(詳細は国譲りへ)を神格化したとされています。簡単に言えば、圧倒的な強さを誇った刀剣の神で、勝利を司る神です。ちなみに下総国(茨城県)一宮 の香取神宮の祭神でもあります。

姫大神:正確な由緒・来歴はあまり明らかになっていないようですが、養蚕機織の神とする説が有力なようです。機織りは当時中国や韓国など大陸側の最先端の知識や技術を必要としていました。女性労働を伴った背景から、姫大神は渡来人にルーツを持つ機織りの人々が崇拝した女神である可能性が高いとされているのです。最近世界遺産に登録された富岡製糸場が近くにあるのも無関係ではなさそうです。

このように不明な部分も多いですが、機織りの比売大神と武神である経津主神という全く関係のない男女の二柱が1つの神社に祀られていることです。この点で縁結びの神社としても名高い神社となっています。

社殿

下り階段を進むと社殿が見えてきます。本殿や拝殿、楼門は、江戸幕府の三代将軍徳川家光による1635年の設立とされています。

桜門はこちら。貫前神社の象徴となっている建造物です。

この桜門を抜けると拝殿と本殿。奥が本殿です。

1698年の5代将軍綱吉による大規模な修理で極彩色の漆が塗られて現在のような華やかな建物となりました。徳川家にゆかりのある神社であり、日光東照宮の造営や修繕の技術が貫前神社の建築にも活用されているそうです。いずれも国の重要文化財に指定されています。

本殿には”雷神の小窓”と呼ばれる部分があり、ここは雷神様の出入り口みたいです。見逃しやすいですが、結構はっきりと雷神が描かれています!稲含山という山に向けてこの雷神小窓は設置されているようです。

神事

貫前神社には、結構特殊な神事があるようです。
・鹿占神事(しかうらしんじ)
・機織神事(はたおりしんじ)
・御戸開祭(みとびらきさい)

例えば鹿占習俗は、焼いた錐(きり)で鹿の肩甲骨を貫き、そのひびの具合によって吉凶を占うというものです。ちなみにうまく貫けたら大吉、そうでなければ小吉か凶、貫けない場合は大凶という、なかなか主観が入ってきます。全国で行われるの、3ヶ所のみという超レアな神事です。地域によっては太占(ふとまに)神事と呼ばれているようです。

ご利益

・縁結び

・勝負

・災難/厄除け

その祭神の由緒から、一宮として地域のご縁を結び、災いを治めるご利益があるとされています。特に経津主神は生活の守り神として災いを防いでくれる神様です。

御朱印

周辺の観光地、お店等

さて、貫前神社は富岡市にあることから、

世界遺産にも登録された富岡製糸場はもちろん有名ですが、

今回紹介したいのはこちらのそば屋さん、やじまさん。

メニューはこちら。

かき揚げざるそば

そばはもちろん、天ぷらも絶品でした。

鴨だしそば

外観、内観ともに雰囲気が良く、対応も親切だったのでおすすめです。

ちゃんおれの感想

階段が多いけど、きれいで迫力満点の神社。ガオ

豊かな森に囲まれていてリフレッシュできる。

長い階段の手前がメインの駐車場だけど、

体力が不安な人は、その更に上にも駐車場があるのでそこに駐車すると良さそう。

トイレは和式。

少し残念だったのは、神社の人たちが少し塩対応で寂しかった。ガオ

#雷神様の出入り口は小さめ。ガオ

ちゃんおれメモ

神様の単位は”柱”らしい。神様は二柱などと数えるんだ。ガオ。

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