上総国一宮 玉前神社(たまさきじんじゃ)

玉前神社は千葉県長生郡一宮町にある神社で、式内社(名神大社)、上総国一宮とされています。旧社格は国幣中社で現在は神社本庁の別表神社です。平安時代にまとめられた『延喜式神名帳』では名神大社としてその名の記載があり、古くから朝廷・豪族・幕府の信仰を集め、上総国(かずさのくに)一宮の地位を保っています。

一宮町は房総半島九十九里浜の最南端に位置しています(神社から浜辺までわずか3km程度)。玉前神社の名は、御祭神に由来するという説、九十九里浜を古くは「玉の浦」と称え太東崎を南端とするところから玉崎(前)となったという説など諸説があります。そのロケーションと御祭神(下記)より、非常に海と結びつきの強い神社であり、漁業が中心であったこの地との関係は深いです。

正直どこにでもある町の神社といった風情のため、注意しなければ一宮とは気づかないと思われますが、上記の通り、少なくとも平安時代からこの地で一番重要な神社であったことは間違いありません。

春分・秋分の日の日の出の位置と玉前神社を結んだ延長線上には、神奈川の寒川神社、富士山頂、滋賀の竹生島(滋賀)、京都元伊勢にある皇大神社、鳥取の大山にある大神山神社、島根県の出雲大社があり、御来光の道(レイライン)と呼ばれており、そのもっとも東に位置する玉前神社は関東屈指のパワースポットと呼ばれています。

目次

歴史

永禄の戦火(1558年-1570年ごろ)の戦火により社伝及び古い文章などが消失したため正確な創建年代、由来、また名称などについては明らかになっていない部分があります。

ただ、少なくとも鎮座は1200年以上前であることは間違いないとされているそうです。927年成立の延喜式神名帳では上総国埴生郡に「玉前神社名神大」と記載され、名神大社となっています。毎年9/10~13に行われる御礼祭も少なくとも1200年以上の歴史があるとされ、これも当社の歴史の根拠であるといえます。

江戸時代の1687年に現在の社殿が造影され、明治期の1871年には国幣中社に列した由緒ある神社。昔から地域に根ざした一宮だったことが想像できます。下記写真は、七夕の時期の笹ですが、地元の方々がたくさんお願いをされていました。

祭神

祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)の1柱。社伝によると、玉依姫命は海神の娘で神武天皇の母でもあります。日本神話では、海神の娘である豊玉姫の妹として登場します。玉依姫命は姉と共に海からこの地に上がり、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)は玉依姫に御子である鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の養育を託します。その後、玉依姫は鵜葺草葺不合命と結婚して神武天皇(初代天皇)を生んだ神とされている、つまり初代天皇の母親ということになります。

この背景から、縁結び・子授け・安産などのご利益で、女性守護の神とされています。ちなみに、”たまより”とは”魂憑り”の意味であり、つまり神霊の憑りつく巫女を指す普通名詞。海神の娘であることから漁業が有名な九十九里の信仰とも合致しています。

社殿・宝物等

下記のような、古くからあるいい感じの神社近くの商店街の先に、玉前神社の一の鳥居があります。

当社、いくつか入り口がありますが、メインの入り口は、この商店街から見える一の鳥居です。

一の鳥居をくぐると広場があり、すぐ見えてくる二の鳥居に向かって右側に、白鳥井という井戸からつながる蛇口から御神水がいただける場所があります。有料で授与所にて空のペットボトルもいただけるようです。管理人たちが頂いたときは、ミネラルが多すぎたのか?かなり鉄のような味がしましたが、普段は美味しいお水のはずです。

当社には、こうした掲示板があり、SNS含め情報発信を積極的に行っているようです。一宮はその伝統ゆえ、あまりこうした活動が盛んではないようでしたが、ここは地域密着、かつ積極的に神社の方から情報発信する点で非常に好感を持つことができました。ちなみに、七夕の時期とかぶったため、特別な御朱印をもらうことができました。

この先には小さな階段があり、ここに狛犬が。ここを上がると二の鳥居が見えてきます。

ここには手水舎と、竹でできた手水舎っぽいものが。

手水舎は重厚で、瓦の屋根が重そうでした。

なお、写真を取り損ねましたが、手水舎の右には君が代に歌われているさざれ石があるそうです。この横の石碑に刻まれたさざれ石の文字は橋本龍太郎元首相の筆によるとのこと。また、さざれ石の正面には子宝・子授け銀杏があり、向かって右のお父さんイチョウ、真ん中の子どもイチョウ、左のお母さんイチョウの順に両手で触れて子宝を祈願するとご利益があると言われています。子供は父母のイチョウのタネから育っているそうです。

この二の鳥居を通ると拝殿が見えてきます。この日は雨で、おれおちゃんはカッパを来て撮影しています。

社殿は本殿・幣殿・拝殿がつながった黒漆塗りの権現造りという珍しい社殿です。いずれも江戸時代の1687年の造営であり、千葉県指定文化財に指定されています。正式な建築様式は”大唐破風・流れ入母屋権現造り、銅板葺き”というものらしいです。

いずれ、当ブログにて神社仏閣の建築様式についても整理していきたいと思います。

当社は、2017年3月に平成大修理が竣工されていて、非常にきれいな状態でした。黒いシックな神社で、かっこいい感じでした。

拝殿の正面には高砂の彫刻があり、伝説的名工である左甚五郎の作とも言われています。高砂の彫刻は、下記拝殿の写真の(見えにくいですが)しめ縄の部分とその上の金色が混ざった屋根の部分の間にある、老夫婦の彫刻を指しています。

神社の本殿(下記写真でいう左側:右は拝殿)には普通鰹木と言って、まさに鰹節のような木がありますが、当社にはありません。ここに秘密があるのでしょうか?

ちなみに鰹木は、このように、屋根に横向きに乗っている丸太のような木のことを指します。(下記写真:香取神宮)

神社の方にも聞いてみると、結論は”わからない”ということです。玉前神社は100年に1度くらい建て替えているそうですが、以前の建築様式を毎回踏襲しており、元々作られた様式が現在のようなものであったと思われ、宮大工によるものである、とのこと。

鰹木については、奇数だと御祭神が男、偶数だと女など諸説ありますが(*統一的な見解はなく、例外もあり)、鰹木がない神社も含め、謎は深いと思われます。当ブログでは今後も様々な神社研究を経て調べていこうと思います。

拝殿を左方向に行くと、はだしの道と呼ばれるところがあります。裸足でこの道を入り口から時計回りに3周すると願い事が叶うと言われています。神社の記載では、1周すると無垢となり(浄化)、2周すると気が入って、3周すると気が満ちるとなっています。玉砂利の上を歩くと、足裏のツボが刺激され、痛気持ちいい感じです。

はだしの道の近くに下の写真のような砂地があります。

たまに神社で見かけますが、今回は気になり、神社の方に聞いたところ、快く答えていただきました。

”神社によっては御神水、御神砂など、水や砂、塩などを媒体として神威を宿し、それを参拝者に配布します。玉前神社もかつては自由に御神砂を持ち帰れるようにしていました。しかし、たまにトラックなどで大量に持ち帰る方が出てくるようになり、やむなく、この場所に御神砂の場所を移動させ、しめ縄をつけました”

という悲しい歴史があるようです。なお、現在、御神砂は社務所にていただけます。

こちらは当社の舞殿

女性の悩み、その他の悩みの窓口として?総合案内という窓口もありました。実際この日も家族を亡くされたとみられる方が相談をされており、この点でも地域に根ざした、まさに一宮という印象を受けました。総合案内の字の手作り感も好印象です。

その他、境内には力石と呼ばれる石も。

下記説明にあるように、娯楽の少なかった昔、お祭りのときなどに力自慢によって競われた遊び道具とのこと。後の横綱である太力山という力士の一行が巡業した際に、この石を幕内力士であった若さくらやその他数人の力士が軽々と持ち上げたとされ、数名の名前が刻まれているようです。

当社の御神木はまんさく科いすの樹という種類の木です。「なんじゃもんじゃ」とも呼ばれています。その他境内にはケヤキ、サクラ、イチョウなどの木がたくさん生えています。

なんじゃもんじゃの木の左側には、神輿など、地元のお祭に関係するものがたくさん展示してあるスペースがあります。

祭事

上総神楽(かずさかぐら)は千葉県の無形民俗文化財に指定されています。当社に伝わる神楽面23面を使って神主家代々に伝わっていたそうですが、永禄の戦火で途絶えたと言われます。記録では宝永7年(1711年)新たに神楽殿を作り土師流神楽が伝承されたとされ、現在は上総神楽保存会が口伝によりその技法を継承し、年7度奉納されています。

例祭は毎年9/13に行われており、上総十二社祭りまたは上総裸祭りと呼ばれる裸祭り。千葉県の無形民俗文化財に指定されています。上総十二社祭りはこの地域十二の神が参加し、807年創始とされる祭り。御祭神である玉依姫命とその一族の神々が由縁の釣ヶ崎海岸で年に一度再会することを示すお祭です。

出典:http://northchiba.net/

2500人余りの裸の若者たちが九十九里の海岸に集って疾走する、非常に迫力のあるお祭りといわれています。房総半島に多く見られる浜降り神事の代表として広く知られ、関東から多くの人が集うそうです。

海からの贈り物である光り輝く玉「玉前」という神社名にあるように、元々玉が信仰の対象でした。古代の人々は海から流れ着いた石に霊力を感じて神々が宿ると考えたといわれています。

玉前神社には次のような伝説があります。

”塩を作る仕事をする老人が、ある朝海辺で海水を汲んでいると東風が吹いて、波間に光る12個の玉が現れた。老人が持ち帰ると夜になるとピカピカ光をはなつので、すぐ玉前神社に納めた。”

これはお祭りで十二社の神輿が集まることの元になっていると言われています。

ご利益

神武天皇の母である、御祭神の玉依姫命の由来から、女性を守護する神社として知られ、特に縁結びや安産などにご利益があるとされています。また月の信仰が古くからあり(上記玉の伝説にもあるように)により、子授かり・安産・子育て等主に女性の神秘的な事象の守護をしています。源頼朝も、妻・北条政子のご懐妊の際に参拝されているそうです。

また、レイラインの東の起点にあり、風水的には東京から見て最大の吉方位にあることから、開運や商売繁盛を祈願する参拝者も多いと言われています。

御朱印・お守り

こちらが、ノーマルの当社の御朱印

訪問時、たまたま七夕の時期で、七夕用のレアな御朱印もゲットしました。

玉前神社の御祭神である玉依姫命が月の満ち欠け・潮の満ち引きに関わりが深い神であるため、女性を守護するお守りや海に関係したお守りがたくさんあり、授与所にていただけます。

特に、紫色の月日守、真珠が入っている御珠守などサーファーだけでなく人生の荒波に乗る人にご利益のある波乗守などはユニークでした。

上記左が御珠守、真ん中が月日守です。御珠守はそれぞれに個性のある真珠のように、私達もありのままの自分に自信を持ち日々を豊かに送れるようになれるお守りです。

月日守りは、特に女性の体と月の満ち欠けに関係したお守りでデザインもきれいです。縁結び、子授け、安産、子育てにご利益があるとされています。

おみくじもユニークで、こちらの糸みくじには縁を引き寄せる糸が入っていて、赤は恋愛、金は金運、緑は健康などをそれぞれ引き寄せてくれるとのこと。

周辺情報

当社の一の鳥居周辺の商店街を30メートルほど進んだところ右手に見えてくる”和菓子司 角八”さんはは有吉マツコの怒り新党(テレビ朝日)で紹介され、マツコさん絶賛と書いてあり、思わず入店しました。みかん大福が有名です。

お餅となめらかな白あんとみかんの相性が最高でした。みかんのジューシーな感じが良きです。ただし、冷凍で販売されており、2,3時間後に食べれるということに注意。おすすめは2時間半です。

また、落花生クリームなる大福も売ってあり、こちらも美味でした。管理人的には、むしろこちらの方が好みでした。

ちゃんおれメモ

玉前神社は下総一宮の香取神宮、安房一宮の安房神社という2つの官幣大社に挟まれてやや地味な存在であり、神域も両者に比べて1/3くらいのイメージであった。が、伝統あるお祭りや、海を象徴するロケーションとご祭神、また神社側のいろいろな見所などがあり、楽しい神社だった。

御神水がサビを飲んでいるような感じで、うげ。。。でも普段は美味しいと思われる。

力石はすごくじゃがいもに見えたんだ。ガオ

角八(和菓子屋さん)がある商店街方面から、一の鳥居の方に向かったけど、駐車場が分かりづらかった。ここから見ると、神社裏側の方に駐車場の入り口があることに注意してほしい。

角八本店の店員さんは、私語多めだけど、いちご大福は季節限定で、また春にきたい。ガオ

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