下総国一宮 香取神宮(かとりじんぐう)

下総国一宮である香取神宮は、国家鎮護、国運開発、国家発展、武道を司る神社です。千葉県香取市香取にある神社で、式内社(名神大社)、旧社格は官幣大社、現在は神社本庁の別表神社です。

関東を中心に全国にある香取神社の総本社で、茨城県鹿島市の常陸国一宮鹿島神宮、同神栖市の息栖神社とともに東国三社の1社とされています。毎年1月1日に天皇が行う神事である四方拝で遥拝される一社でもあり、非常に格式の高い神社です。

大きさはそこまで、という感じですが、整った美しさ、力強さが感じられる神社でした。

常陸国(茨城県)の一宮である鹿島神宮と深い関係にあり、古来より並び称されています。両社とも古くから朝廷の崇敬が深く背景には共に軍神として信仰された事があります。そのため、現在でも各地の道場には鹿島大明神、香取大明神と書かれた2軸の掛け軸が対で掲げられていることが多いそうです。

毎年朝廷から勅使(天皇の使者の意味)として鹿島使(かしまづかい)と香取使(かとりづかい)、総称して鹿島香取使の派遣があったそうです。伊勢・近畿を除く地方の神社で定期的な勅使の派遣は他に例がなく、毎年派遣があったのは特に異例という待遇です。明治まで都は京都、となると京都から車も飛行機もない中で毎年派遣されるということの高待遇ぶりが良くわかります。

それはなぜか、歴史を探ってみました。

目次

歴史

香取神宮は、国譲りにおいて建御雷神(鹿島神宮の御祭神)とともに活躍した経津主神を祀るようになったことが起源とされています。上の写真にある社伝によると、初代神武天皇18年の創建とされています。実際に黎明期は明らかではないようですが、古くは常陸国風土記(8世紀初頭成立)には、”香取神子之社”との記載が残っていて、それ以前の鎮座は確実とされています。

古代には、朝廷から蝦夷に対する平定神として、また藤原氏から氏神の一社として崇拝されたそうです。例えば、有名な奈良の春日大社は藤原氏の氏社として創建されていますが、鹿島神(武甕槌命)が第一殿、香取神(経津主命)が第二殿にまつられていて、藤原氏の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと:第三殿)よりも上位に位置づけられています。

中世から武家社会となっても強く崇拝され、特に歴代の武家政権からは武神として崇敬されてきた歴史があります。そしてその歴史が今に受け継がれ、武道の神となっています。後述しますが、楼門には日露戦争で活躍した東郷平八郎の書があるなど、過去から現代に至るまで日本人がずっと崇拝してきたことを示しています。

社殿

拝殿等ほとんどの社殿は昭和の大修築による造営です。実際に見てみると非常に重厚で立派な本殿です。

本殿正面から拝殿に接続し、権現造の形式をとっています。(神社の建築様式については今後勉強し、当ブログにて取り上げる予定です)

楼門は、元禄13年(1700年)の造営。楼門内にある像は「左大臣・右大臣」と言われるそうですが、正面向かって右は武内宿禰、左は藤原鎌足という人物です。ちなみに、武内宿禰は古代において5代の天皇に仕えた忠臣、藤原鎌足はあの中臣鎌足の後の名前です。大化の改新の、中臣鎌足です。楼門上の額は東郷平八郎の筆であり、同じく武神である鹿島神宮にも東郷平八郎の書があります。

楼門かっこいい。ガオ

鹿島神宮と同じく、要石がここにもあります(写真下)。かつて地震は地中にいる大ナマズによって引き起こされるとされていて、要石はその大なまずを押さえつける守り神として信仰されていました。鹿島神宮の要石はナマズの頭を抑え、尾を抑えているのが香取神宮の要石ということです。見た目は小さいですが、地中部分は決して抜けないとされ、1684年に徳川光圀が参拝したときに要石の回りを掘らせたが根元に届かなかったという逸話も残っています。

出典:香取神宮公式HP

祭神

香取神宮の御祭神は経津主大神です。国産みにおいて伊弉諾(いざなぎ)が加具土命(カグツチ)を切った際に剣から滴る血で産まれた神々に起源があるとされる神です。葦原中国平定において武甕槌とともに出雲に派遣されて、大国主との国譲りの交渉を行い、国家基礎を形成された神とされる。

出典:香取神宮公式HP

なお、古事記にフツヌシは登場しませんが、性格としては、国土平定に活躍したという日本書紀の説話から、武神・軍神とみなされており、”フツ”の音も、古事記・日本書紀に記載されている神剣である布都御魂と同様に刀剣の鋭さを表した言葉であるとされる。

祭事

式年大祭として、式年神幸祭(しきねんじんこうさい)が12年に1度の午年に行われています。

出典:香取神宮公式HP

境内前までの神幸祭は毎年4月15日に行われているようですが、式年大祭は4月15日・16日の両日に大規模に行われます。この祭は、経津主神による東国平定の様子を模したものと言われ、元々は「式年遷宮大祭」という名前で、20年に1度の式年造営に伴って行われたそうです。神輿を中心とした神幸列が神宮を発し利根川岸で神輿は御座船に移され船上祭を行った後、鹿島神宮による御迎祭が行われ利根川を遡って佐原河口に上陸したのち、神幸列が市内を巡り、神宮へ陸路を還御します。鹿島神宮と香取神宮の近さはここにも出ています。

ご利益

御祭神の国譲りを成し遂げて国家を平定された由緒から、以下のようなご神徳があるとされています。

・家内安全

・産業(農業・商工業)

・海上守護

・心願成就な

・平和・外交

・勝運

・交通安全

・災難除け

御朱印

ちゃんおれメモ

香取神宮に行ったのはとても暑い日だったけど、神域に入るととても涼しく感じて気持ちよかった。戦いの神様なので、人生の岐路、勝負している状態にある人にとてもおすすめ。ガオ

建物も”巨大”というわけではないけれど、荘厳な感じで力強く、きれいな神社で、パワーを感じた。

下で紹介している水郷のとりやさんはとても美味しいので行く価値あり。また香取神宮と鹿島神宮の間に位置しているので、参拝後腹ごしらえして一方へ参拝するのに最適。普段ビーフが好きな僕でも新鮮な鶏肉美味しかった。ガオ

周辺のお店・観光地等

香取神宮参拝前後でぜひ言ってほしいのが、香取神宮から車で15分ほどの距離にある”水郷のとりやさん須田本店”です。

こちらは、鶏肉屋さんとして肉や加工品を販売しつつも、その新鮮な鶏肉料理も提供しているお店です。

ここでは有名な親子丼と、たまたま見つけた(が実は名物だった)水郷鳥まるごと1本をいただきました。

甘い味付けの多い西日本出身の管理人としては、少し塩っ辛い味付けの親子丼でしたが、それでもとても美味く、特に肉の新鮮さを感じました。

まるごと1本の方は、鳥のいろんな部位が一串に集められた面白いコンセプトの焼き鳥で、こちらも新鮮なお肉を味わうのに最適でした。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!

コメント

コメント一覧 (1件)

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次
閉じる